過去:相続のあった相続人の支援
農家相続における遺産分割の難問解決は...
代襲相続人と出会い
「はじめまして、次男です」と最初に口火を切ったのは、被相続人の次男でした。続いてその次男に促されるように挨拶したのが、今回の相続ドラマの主人公である被相続人の長男の子つまり被相続人から見ると孫のYさんでした。
まだ20台後半の独身の青年です。相続人が孫というとすぐに養子縁組?と想像するのですが、実は被相続人の長男は数年前に他界していていわゆる代襲相続人です。その代襲相続人が本家の後継ぎな訳です。そして、次々に各相続人の紹介と挨拶が続き最後に「相続士の江里口です。」となり・・・それは東京の郊外で乳牛業をしている農家の相続案件としての最初の出会いのことでした。
当相続人(図1)は全部で8人です。牛を飼っている農家といてもその周辺ではずばぬけてりっぱな屋敷でありその母屋は数寄屋造りの本格的な木造建築の住宅でまさに本家の家という風格のあるお屋敷です。
このYさんを紹介していただいたのは、地元の不動産やさんのNさんでした。NさんとY家とは先代のときからのお付き合いで相続が発生しまずYさんに相談したのでした。私は、Nさんにはその半年ほど前に別の相続案件でお世話になっておりこれが2件目の紹介でした。
農家の相続は資産の大半が土地(農地)ですから一般的には財産規模が大きいわりには比較的手間のかからない?ことが多いのですが、このYさんはそうではないということが最初の出会いですぐに気が付きました。
Yさんは農家相続なのですが、実はこの相続を契機に農業を実質的にはやめることになったのです。牛を飼うということがどれほど大変かは今までのご苦労されたお話を聞いていくうちに容易に理解できることでした。実はこの何年間1日たりとも家を留守にしたことはなかったようです。
こうして無事、最初の面談を終え次回訪問するときに相続専門の税理士をお連れすることを約束してYさんの家をあとにしました。
納税のための売却可能な土地がない
最初の面談後に紹介者のNさんの案内で早速資産の大半である土地を現場確認をしていきました。土地は全部で8ヶ所です。まず
(1)ご自宅と
(2)駅前のレストラン
(3)マンション
(4)アパート
(5)農地(調整地域)
の計4ヶ所です。
また実質的な現金は3000万円ほどです。総資産は約8億円そして債務が2億円でしたのでざっくり計算した相続税は配偶者税額軽減後に6000万円前後(表1)となり、これは土地を売らないと相続税が払えないということはすぐにわかりました。
しかし、マンションやアパートは当然に担保が入っています。無担保の土地は自宅とレストランそして市街化調整地域の農地だけですから、そうは簡単には売る土地がないということがその日の土地調査ですぐに判明しました。
土地売却候補地として、現場をよく見てなんとか考え出したのが駅前のレストランの敷地です。全体で490坪あり駐車場の一部80坪ほどがうまく分割できそうで売却が可能です。とりあえずは、ほっとしてその日の現場視察は終わりました。
もちろん相続士として後日、役調(やくちょう)としての市役所の都市計画課・開発指導課の本格的な調査や法務局での公図・謄本の入手と現調(げんちょう)としての土地の実測を実施したのはもちろんです。
売却予定地の変遷ドラマ
2回目の訪問で税理士とのうち合わせも無事に終わってからYさんにレストランの駐車場の土地売却の了承をいただき、早速レストランの本部の担当者にアプローチすることになりました。すると先方からは「・・・事情はよくわかりました。協力しますよ。」と内諾を得てまずは納税問題は解決?ということになりそうだったのですが、ふと相続士としての良心が急に浮上してきました。
「ほんとうにここを売っていいのだろうか。この土地はY家の先代からの土地でそれも市街化地域の一等地。まちがいなくここは残す土地ではないのか・・。」と考え直し、あらためてYさんとじっくり話をしていきました。すると「実は、もう農業をやらないのでなんとか畑から売却したい。」とやっと本音の話が聞き出せました。そうはいっても調整地域の農地ですから農家に売るしかありません。
さあ、そうなると紹介者のNさんの登場です。Nさんはすぐに農地売買の動きをとりました。農地がはたして売れるのか。するとすぐに「買いたい」という農家があらわれました。ところが話をつめていくといろいろと条件がでていつの間にかその話は立ち消えしてしまいました。
それから1ヶ月が過ぎた頃Nさんから電話が入り「やっと畑が売れそうです。農家2件から話が入っています。坪3万円として1反1000万円くらいでしょうか・・・」ということでした。畑は3ヶ所で3反余(1000坪)ほどありましたので全部売れれば3000万円となり納税資金としては現金と合わせればなんとか間に合いそうです。
遺産分割の変遷ドラマ
農地以外に売るところがない今回のケースの場合に農地が畑と牧草地合わせて全部7反(2100坪)ありますので運良くすべて売却しても6300万です。それはそのまま納税資金で消えていってしまいますから遺産分割としては3000万円の現金を分配することになります。
一人数百万ですが、はたしてそれでいいのかどうかがよくわかりません。土地売却のひとつの目処がつき始めてきた頃、相続人との3回目の会合で、本格的な遺産分割の話が飛びだしてきました。被相続人の配偶者であるおばあちゃんの希望として「次男や娘にはある程度の財産分与をしたい・・」ということになりました。
なにしろ納税資金をどうするかで悩んでいたところへちょっと多めに財産分与してほしいと言う要望です。実は、相続士としての考え方としては農家相続ということで本家のYさんがその財産の大半を相続していくものと思っていたのですが、Yさんが農業をやめることで他の相続人の財産分与の話が最初からあったようです。
ではいくらくらいの分与があればいいのか、そこがなかなか聞き出せないのです。そして、しばらくしてある日一通のメールが届きました。次男からです。「折り入ってご相談があります・・・。実は今の家を買い替えたくもう土地も探して契約するばかりになっているのですが・・」と言う相談です。
事情があって今の住宅を買い替えるためどうしても住宅資金がほしいとのことでした。金額は言ってこないのですがどうも2000万円ほどかな?と思えました。直々に相談をうけいろいろと聞いていくとごもっとも思えるところもありこれはやむえないかな?と同情するばかりです。
されど納税もままならい現在あらたな問題を突きつけられたようでほんとに困惑するばかりです。また振り出しにもどって駅前のレストランの土地を売却することになるのか。またまた壁にぶつかりました。いろいろお話を聞いていくと別の相続人の離婚問題や住宅建築資金やなんだカンダと次々と出てきました。
最終的に最低いくら必要なのかとつきつめていくとなんと1人1000万円以上ということになり全部で4000万円ということになってきました。それも具体的に相続人それぞれの思惑が違い次男については2000万円必要とする事情もあります。これは大変なことです。現金はなんとかあるにはあるのですが・・さあ、どうするか。いよいよ難問にぶち当たりました。
ほんとに農地が売れるのか
農地売買はほんとに難しいものです。買いたいと話があってしばらくすると立ち消えになってまた買いの話が別からもでてきていろいろ問題がでてきます。そうこうしてあっという間に相続から6ヶ月が過ぎようとしたころ朗報が飛び込んできました。
Nさんから電話があり「幼稚園が牧草地(表2)を運動場として買いたいようです」これはすごいお話です。調整区域ですが学校法人ということで農地転用の問題はクリアできそうですからすぐに飛びつきました。なんと1億2000万円で売却の申し込みがはいりました。
農地はすべて売ってしまいたいという相続人全員の希望を一気にかなえるものです。農地5ヶ所の5反(7000m²)の中で、牧草地Bの売却だけでなんとか遺産分割が無事に出来る目処がでてきました。しかし、油断は禁物です。
この牧草地を売却する前提で遺産分割協議書を作成していくわけですから万が一この売却が流れた場合には、相続人は全員でこの牧草地をただ共有しているだけでになってしまいます。納税はもちろんのこと相続人の夢と希望を無惨にもうち砕く最悪のシナリオになってします。
案の定しばらくは、買い手の幼稚園の学校法人としての各種の許認可と農地転用許可には時間のかかるものです。「契約までもう少しお待ち下さい」とNさんからは何度か申し訳なさうな電話をいただきながら、あっという間に時間は過ぎ申告と納税期限と迫ってきた4月の初旬にやっと無事契約をすることができました。まさに滑り込みセーフといった感じです。
試行錯誤の円満な遺産分割
一口に円満な遺産分割といっても納税問題と現実の土地の売却が絡むとそれは大変なドラマの展開です。今回の農地売却はまさに運のいいお話です。相続人同士でまったく争っているわけではなくても現実的な最低限の金銭的な遺産分けにも問題が山積みとなることがあるわけです。
相続人の思惑とはなかなかすぐに表にでてきません。面談を重ねる内に徐々にいろいろなことが表目化してきます。相続人同士がお互いに遠慮していますし、特に農家相続の場合には本家に遠慮して一人一人の思惑が違っています。
納税問題だけに気をとられているととんでもない相続問題に発展してしまいます。早期に相続人の切実なる思惑を聞き出していかに円満な遺産分割を実現するかが相続士の実力の見せ所です。今回はたまたま運良く農地売買が申告前にうまく間に合った成功事例ですが、そういった事例が毎回成功するとは限りません。
運も相続士には必要なのかもしれません・・・。遺産分割と納税の現実的な問題解決のキーワードはまさに不動産そのものです。今回は不動産やさんの紹介案件であり、実際の売却の実務はすべてNさんへお任せしたのですが、農地売買の難しい局面をいっしょに乗り越えて行くにはやはり相続士も不動産に明るくないと途中で挫折してしまいかねません。相続士が不動産に精通していなければならない所以です。